夢奏庵ブログ

芸術表現コースに参加して・・・その2

実は前回からなのですが、参加者全員で、レコーディングを体験学習しています。

様は、自分の演奏なり歌なりを、録音する訳ですが、マイクを向けられたり、これから自分の出す音を、記録するんだ・・・なんて考えるだけで、何だか、もう意識が違ってきちゃうんですね・・普段とは・・・。

と言うか変な意識が、頭を、擡げて来ると言ったらいいのかな・・・。いずれにしても何だか、ざわざわと落ち着かなくて、居心地が悪い感じ。

でも、どんな感覚も感情も今ここで出てきたものは、有難く頂戴して「味わって」表現するのが、このコースのテーマなので、皆な、それぞれが、対面しているものから逃げないように必死で、喰らいついていきます・・・「これは、表現としては、悲壮感が、出すぎて、あまり適当とは思えませんが、まだまだ、ものの捕らえ方に、力む癖が抜けない者が、投稿しているので、未熟者の仕業と、ご勘弁ください。」

どんな状況に在っても、その状態を、楽しめる・・・そんな大人になれる様に、レコーディングと言う不慣れな体験は、私たちにさまざまな問いを投げかけ、その後に、色々な答えを、もたらしてくれます。

 

まぁ何だかんだと言って、皆と一歩一歩共に歩んで行くのは、何より楽しいものです。

       今後の展開は、また次回に・・・。

 

                       CARAMEL・M・A          

「眠れぬ夜のひとりごと」

「眠れぬ夜のひとりごと」     牛島正人作詞・作曲

        本当は何も残らない
        その場限りで消えてゆく
        恋も夢も思い出も
        心の中のつくりごと

        本当は何も目に見えない
        まぶたの裏の蜃気楼
        この暗闇もこの涙も
        青い空も夕焼けも

        ひとりぼっちが寂しくて
        この暗闇が怖いから

        ララララ・・・・・・ 
        眠れぬ夜のひとりごと

 人は皆、自分に都合のいいように、物事を見、解釈している。ひとつの事象について、見え方や感じ方は、きっと一人一人違うはずだ。また、時間は一瞬一瞬のつながりで、決して絶対なるものではない。人間が、記憶力と言語を持ち合わせるから、時間の流れを認識している。だとすると、すべてはつくりごとなのかも・・・。だって、私たちは起こったことを、記憶し、学習し、次の行動を起こしていく。過去の経験の解釈の積み重ねで、今の自分はできあがっている。そう、解釈。この解釈こそが、まさにつくりごとの最たるもの。長い歴史の中でそうプログラムされてしまったんだろうけれど、私たちは悲しいことに、解釈する時、安心感や幸せよりも、心配や恐怖心を優先させてしまう。でも、私は、そんな人間の悲しい性を勇気をもって乗り越え、「ひとりぼっちが寂しくて、この暗闇がこわいから」を受け止めながらも、寂しさや恐怖にのみこまれないように、すてきなつくりごとのなかで生きて行きたい、と、切に思う。
神様、自分を信じる勇気をください・・・

眠れぬ夜のひとりごと

HPがリニューアルされて、気持ちも新たにスタート!
で、この「眠れぬ夜のひとりごと」を書き始めて3年目になるけれど、今年のはじめ、私の管理不行き届きで、NO1からNO10までが消えてしまった。まっいいか・・・と思いながらも、自分なりにけっこうショックだったようで、自分のいいかげんさやだらしなさを深く反省・・・。これからは「因果応報ザマーミロ!安心楽チン好きにやろ!(牛島正人作詞)」の精神でまた1からスタートだ!!!
そんな訳で、この日記のタイトルになっている「眠れぬ夜のひとりごと」を、もう一度書こうと思う。

  「眠れぬ夜のひとりごと」     牛島正人作詞・作曲

        本当は何も残らない
        その場限りで消えてゆく
        恋も夢も思い出も
        心の中のつくりごと

        本当は何も目に見えない
        まぶたの裏の蜃気楼
        この暗闇もこの涙も
        青い空も夕焼けも

        ひとりぼっちが寂しくて
        この暗闇が怖いから

        ララララ・・・・・・ 
        眠れぬ夜のひとりごと

 人は皆、自分に都合のいいように、物事を見、解釈している。ひとつの事象について、見え方や感じ方は、きっと一人一人違うはずだ。また、時間は一瞬一瞬のつながりで、決して絶対なるものではない。人間が、記憶力と言語を持ち合わせるから、時間の流れを認識している。だとすると、すべてはつくりごとなのかも・・・。だって、私たちは起こったことを、記憶し、学習し、次の行動を起こしていく。過去の経験の解釈の積み重ねで、今の自分はできあがっている。そう、解釈。この解釈こそが、まさにつくりごとの最たるもの。長い歴史の中でそうプログラムされてしまったんだろうけれど、私たちは悲しいことに、解釈する時、安心感や幸せよりも、心配や恐怖心を優先させてしまう。でも、私は、そんな人間の悲しい性を勇気をもって乗り越え、「ひとりぼっちが寂しくて、この暗闇がこわいから」を受け止めながらも、寂しさや恐怖にのみこまれないように、すてきなつくりごとのなかで生きて行きたい、と、切に思う。
神様、自分を信じる勇気をください・・・

新しい年に向けて

2006年、また新しい年の幕開けがやってきた。どんなに幸せでもどんなに辛くてもどんなに悲しくても生きているかぎり時は流れ過ぎていく。そんな時の流れの中にふと身をおいた時、本当は過去も未来も実は存在せず、ただ自分の頭の中の想像にすぎないことに気付く。今が幸せならたとえ辛かった過去もOKだしこれからの未来もきっとこのまま幸せだと思うだろう。いまが幸せでなければ過去はうらめしいものでありこれからの未来も不安と嘆きに支配されるに違いない。
 
瞬間瞬間のつながりで成り立つ時の流れの中で確かなものがあるのだろうか。あるとするならば今この瞬間の想いにしか真実はないような気がする。それでもその真実も次の瞬間には無常に過去となってしまう。ひとつ確実なのは今の瞬間は次の瞬間へと移り行く。それならば過去も未来も幸せになるには今この瞬間幸せになればいい。これはむずかしそうでいがいと簡単なことかもしれない。
2006年の幕開け、ひとりでも多くの人が今この瞬間に幸せになって、幸せな未来を想像し創造していくことを切に祈る。

2004年12月2日 木曜日

11月はじめにPCが壊れてから、ずっと書いてなかったな・・・11月の眠れぬ夜は、ずっと読書にふけってしまい、下旬から今まで急性の気管支炎に見舞われてしまって、咳と熱にうなされる眠れぬ夜を送っていた。(牛島の提唱する丹田呼吸をして吐き出していれば風邪なんかひかないはずなのにネ・・トホホ・・・)でも、苦しい時にこそ、人間の正体って現れるものなのよね。もう、私の場合、へこたれるわ、悲観的になるわ、情けないったらありゃしない・・・「私の肺はこのまま酸素を吸収できなくなって呼吸困難で死んじゃうかも・・」と思ったり・・・、そんな時、11月に読みふけっていた本を思い出した。
その本は、フィデル・カストロと共にキューバ革命を成功させた革命家チェ・ゲバラの本だ。(彼については、またゆっくりと書こうと思う)この本を手にしたきっかけは、チェ・ゲバラがいい男だったからという単純で不純な動機からなのだけど、この本によって、私の知らなかったラテン・アメリカ世界を少し知ることができた。
 
それにしても、私って男見る目あるな~っと我ながら感心してしまう。私の「いい男」の基準は、いたって簡単だ。「いい男=目が優しい」という方程式が成り立つ。私の経験上、この方程式に誤まりはないはずである。これから伴侶を選ぶ人たち、男は目で選びなさい、その前に、真実を見抜く素直さと賢さとずるさを身につけよう!あれっちょっと話がずれてきたぞ・・・
チェ・ゲバラの話に戻すが、彼は「ラテン・アメリカ解放」のために、あらゆる苦悩と困難を受け入れゲリラ活動を続けた。彼は、
「ほんとうの革命家は、大いなる愛情に導かれている。愛のない本物の革命家なんて、考えられない。」
という。その通り、人間が極限状態の苦悩のなかで、その精神力を支えるものは、その人の持つ愛の深さによるものだ。エゴによる愛しか持ち合わせない人は、いくらでも悪魔に魂を売ることができる。本物の愛と正義にのみ導かれていれば、どんな苦しみにも屈することなく受け入れていくことができるのだろう。
咳と熱の苦しみの中、私は何度悪魔に魂を売ろうとしたことか・・この苦しみから逃れるためなら、なんだってします・・と。でも、ゲバラの生き方に共感した以上、せめて私も今の苦しみを受け入れ自分の力で解決していこう、と思った。カッコわるい生き方はしたくない、どんな小さなことでも、自分で納得のいくカッコいい生き方をしていこう!と心に決めた眠れぬ夜でした。
 
では、次回は革命家の話を・・・。

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